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9月, 2022の投稿を表示しています

ウェストミンスター宮殿(Palace of Westminster)

構造~設計者~ ヴィクトリア王朝期の1834年の火災により、本造であるウェストミンスター・ホールを除くほとんどが焼失してしまったため、これを機にイギリス政府はコンペ形式によって、新国会議事堂の設計を行うことになった。

フレデリクスボー城(Frederiksborg Castle)

宮殿内の教会 教会は別名「勲位のチャペル」として知られ、今日では地元の教会として用いられており、国立歴史博物館の一部ともなっている。デンマーク王室勲章の紋章、「デンマーク最高勲章」と「ダネブロー騎士勲章」が、教会の壁に掲げられている。

ブラン城(Bran Castle)

フィクションとの関連 アイルランドの作家ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』に登場するドラキュラ城のモデルとされているが、ドラキュラのモデルとされるヴラド3世杭刺し公は、実際にはこの城には全く住んでいなかったと考えられている。居城としていたのは彼の祖父であるミルチャ老公である。

セゴビアのアルカサル(Alcazar of Segovia)

白雪姫~概要~ 白雪姫城のモデルとなったとされるセゴビアのアルカサルには多くの観光客が訪れる。

アーケシュフース城(Akershus Fortress)

沿革・概要 最初に建設が着工されたのは1290年代後半ごろで、ホーコン5世主導のもとに行われた。この城はテンスバル城塞にとって代わり、その時代のノルウェーにおける2大城郭の一つとなった。アーケシュフース城は、ノルウェーの貴族・サルプスボリのアルフ・エルリンソンによる、オスロへの攻撃に備えて建設された。

シャンボール城(Chateau de Chambord)

建築 シャンボール城の設計はドメニコ・ダ・コルトナによるものだったが、1519年から1547年にかけての建設の間にかなりの変更が加えられた。レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ王の客人であり、アンボワーズ城近くのクロ・リュッセに住居を与えられた。ダ・ヴィンチはシャンボール城の設計に関与していたと考えられている。城の完成が近づくとフランソワ王は、自分の富と権力の巨大な象徴として、宿敵カール5世をシャンボールに招待して見せびらかした。

ポタラ宮(Potala Palace)

白宮 白宮は、歴代ダライ・ラマの居住と政治的な執務にあてられた領域である。ダライ・ラマが「世俗王」として権力を行使する場といえる。1645年から8年の歳月をかけて、観音堂を中心に東西に建造されていった。寺全体の外壁が白色に塗られ、人目を引くことから、人々に白宮と呼ばれるようになる。

アンブラス城(Ambras Castle)

歴史 城自体は、権力から離れた後、兵舎や軍事病院などのさまざまな役割を果たし、1855年にオーストリア帝国オーストリア大公カール・ルートヴィヒ・フォン・エスターライヒがチロル州知事時代に夏の離宮とし、庭をイギリス式庭園にし、1880年に博物館にするなどの改装がされた。彼の死後は、管理する者なく再び荒廃した。

ドロットニングホルム宮殿(Drottningholm Palace)

歴史 ロヴィーサ・ウルリカは啓蒙主義思想を持つ優れた才女で、彼女の手によってドロットニングホルム宮殿はさらなる発展を遂げる。この時代にギャラリーや図書館、劇場が増築され、スウェーデンにおける啓蒙時代を作り上げた。

ヤマーマ宮殿(Palace of Yamamah)

宮殿~大宮殿~ 正門から構内に入ると、宮殿本館ではなく別館がある。ペディメントで覆われた大きな柱廊を持つギリシャ・ローマ時代の神殿を模した新古典主義建築のエントランスがある。中央の建物は左右に対称的に配置された2つの翼に繋がっている。

ジャイガル城(Jaigarh Fort)

歴史 1726年、アンベール王国の君主ジャイ・シング2世が自身の名にちなんで建設した。

シンデレラ城(Cinderella Castle)

東京ディズニーランド 東京ディズニーランドのシンデレラ城内には、2011年4月15日にオープンした、ディズニー映画「シンデレラ」をモチーフにしたアトラクション「シンデレラのフェアリーテイル・ホール」がある。かつてはシンデレラ城ミステリーツアーという東京ディズニーランドだけのアトラクションがあった。また、現在では「ディズニーロイヤルドリームウェディング」というプログラムが2012年にスタートしたため、結婚式をここであげることも可能となっている。

眠れる森の美女の城(Sleeping Beauty Castle)

ディズニーランド アナハイムのディズニーランドの眠れる森の美女の城は、世界で最初に造られた「眠れる森の美女の城」である。この城は、ディズニーパークにある城の中で最も古くて小さい城でもある。2005年には、パークの50周年の記念に城の各塔に金の王冠のデコレーションが施された。2015年には、パークの60周年の記念に透明なダイヤモンドやクリスタルのデコレーションが施された。

ピッティ宮殿(Palazzo Pitti)

沿革~メディチ家~ 1580年に現在のウフィツィ美術館が完成し、その建物が政治の場として機能するようになると、コジモ1世およびその家族は私的な時間をピッティ宮殿で過ごすようになる。結果としてコジモ1世の公私の空間は、これら二つの建物に分離された。

ホーエンツォレルン城(Hohenzollern Castle)

ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家と空中楼閣 シュヴァーベンの一部を支配するのはツォレルン伯爵であった。1218年にツォレルン家は領地の分割を行って長男のコンラート1世がフランケンの領地とニュルンベルク城伯の地位を得て後のプロイセン王国の王家の祖となる一方、次男のフリードリヒ2世はシュヴァーベンの領地とツォレルン伯爵の地位を得た。

アルハンブラ宮殿(Alhambra)

概要 宮殿と呼ばれているが城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていた。現代に残る大部分は、イベリア半島最後のイスラム王朝・ナスル朝の時代の建築とされ、初代ムハンマド1世が建築に着手し、その後のムスリム政権下で増築された。スルタンの居所であるとともに、数千人が居住する城塞都市でもあった。

ノイシュヴァンシュタイン城(Neuschwanstein Castle)

ディズニーランドの城のモデル 1955年に開園したカリフォルニア・アナハイムの初代ディズニーランドの眠れる森の美女の城のモデルで、ディズニーランドの公式サイトでも「ノイシュヴァンシュタイン城にインスパイアされた城」と明記されている。

ハメ城(Hame Castle)

歴史 1260年、北方十字軍遠征に際しフィン人に対抗して木造城壁が建築された。1270年から1300年にかけて増強され、1300年からは煉瓦造への改修が開始され、1350年までに大キープが建設され、1500年までにゴシック様式の城になった。

エディンバラ城(Edinburgh Castle)

デイヴィッズ・タワー デイヴィッズ・タワーは、1376年にデイヴィッド2世により建設が委任された。当時の主流の建築であり、城の主要な入り口であったが、のち塔が宿泊する客人や貴族のため拡張され、原形の入り口はゲスト・ハウスに塗り込められた。

ヴェルサイユ宮殿(Palace of Versailles)

概要 ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世が建造した宮殿である。宮殿内には地方の有力貴族の居住空間も用意され、権力の一極集中を実現していた。そのため、フランス絶対王政の象徴的建造物ともいわれる。宮殿はルイ14世をはじめとした王族と、貴族たちが国政を議論する場であり、時には社交場でもあった。その結果様々なルール・エチケット・マナーが生まれた。それの中に今につながるものもあるという。

ヴァルトブルク城(Wartburg Castle)

歴史と伝説~歌合戦伝説~ 中世の伝説、「ヴァルトブルクの歌合戦」の舞台となった。12世紀ドイツの芸術保護で著名なテューリンゲン方伯ヘルマン1世の宮廷で歌合戦が催されたという設定になっている。後に13世紀に入って「ヴァルトブルクの歌合戦」の題で競演的・論争的な歌がまとめられた。

チャプルテペク城(Chapultepec Castle)

植民地時代 植民地時代、チャプルテペクの丘の頂上に修道院が建てられていたが、副王マティアス・デ・ガルベスはその跡に新しい宮殿を造ることを命じた。しかし実際の建築がはじまったのはその子の副王ベルナルド・デ・ガルベスの時代にはいってからだった。建設担当者はフランシスコ・バンビデイとマヌエル・アグスティン・マスカロだった。しかし副王ベルナルドは1786年11月8日に急死した。

バーンパイン宮殿(Bang Pa-In Royal Palace)

建築様式 主にルネサンス様式、ロココ様式の宮殿が多いが、中にはタイ国中華総商会から寄付された、明天殿という中国風の宮殿もある。中には大量の黄金を使って建てられたプラティーナン・アイスワンティップアートという池の上に経つ離宮などが見所。中にはワット・ニウェートタンマプラワットというルネッサンス風の仏教寺院があり興味深い。宮殿はバンコクのドゥシット宮殿とマルッカタヤワン宮殿などと並んでタイの代表的な西洋建築とされる。

シヨン城(Chillon Castle)

概要 この城についての最古の記録は1160年のものであるが、城が建っている場所の岩は原始時代に住居とされていたことが判明している。12世紀にサヴォワ伯が領有してから拡張が行われ、13世から14世紀に最盛期を迎えた。バイロンによる1816年の詩「シヨンの囚人」、「シヨン城詩」は、16世紀にこの城に幽閉されたジュネーヴの宗教改革者フランソワーズ・ボニヴァルのことをうたったものである。

姫路城(Himeji Castle)

概要 戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。